第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とは、米国・ソ連の核兵器開発が急進展した冷戦時代に、アメリカ合衆国が1954年3月1日、ビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験場の付近に居合わせた遠洋マグロ漁船のことです。この時、第五福竜丸は、多量の放射性降下物(死の灰)を浴び、同船の乗組員は23名。うち、無線長だった久保山愛吉が、被爆から約半年後の9月23日に死亡しました。
ざっくり用語解説
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とは、米国・ソ連の核兵器開発が急進展した冷戦時代に、アメリカ合衆国が1954年3月1日、ビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験場の付近に居合わせた遠洋マグロ漁船のことです。この時、第五福竜丸は、多量の放射性降下物(死の灰)を浴び、同船の乗組員は23名。うち、無線長だった久保山愛吉が、被爆から約半年後の9月23日に死亡しました。