天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説です。天皇主権説(穂積八束・上杉慎吉らが主張)などと対立する学説です。
まず統治権は法人たる国家にあり、天皇は日本国政府の最高機関の一部として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼を得ながら統治権を行使すると説きました。ドイツの公法学者ゲオルク・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張しました。
明治憲法が施行された当初は、超然主義を唱えた藩閥政治家や官僚によって、天皇主権を中心とした君権学派の解釈が重用されましたた。その後、上杉と美濃部の天皇機関説論争が行われ、1913年(大正2年)には機関説が勝利し、憲法は機関説で運用されました。
しかし、1935年(昭和10年)の天皇機関説事件で美濃部ら立憲学派(天皇機関説)が排撃され、同年に政府が発表した国体明徴声明では天皇主権を中心とした解釈が公定されたことで、以後、政府の公式見解では機関説は排され、これを主導した右翼勢力、軍人の力が拡大することとなりました。