五箇条の誓文(ごかじょうのせいもん)とは、戊辰戦争が進む中で、新政府が天皇を中心とした国づくりをするということを諸外国に示したものです。新政府軍による江戸城総攻撃予定日の前日に、明治天皇が天地の神々に誓う形で発表されました。
誓文の最初の案は、慶応4(1868)年1月に福井藩の由利公正が考えた「議事之体大意」 というもので、公家や大名による会議の原則を述べました。
次に、土佐藩の福岡孝弟の修正案が出され、「列侯会議」という語が追加されました。これは、公家や大名が集まって会議を開き、国政の方針を決めるという構想でした。
最後に、長州藩の木戸孝允が中心となり、大名中心でなく、天皇中心であることを示すべく、第一条の冒頭から、「列侯会議」の文言を削り「広く会議を興し」と修正しました。
誓文は、明治天皇が京都御所で、公家や大名を率いて神に誓うという形で出されました。このような儀式は、国家の中心に天皇を置くことを示すものでした。
第一条では、政治を行う際に多くの意見を求めること、政治に関して、全てのことを会議で話し合って決めていくことが書かれています。
第二条では、身分の上下に関わらず、心を一つにして国家を治め整えていくことが書かれています。
第三条では、役人・武士・庶民まで身分の違いを超えて、それぞれの志を実現できるような社会を目指すことが書かれています。
第四条では、古くからの悪い習慣を無くして、世界共通の正しい道理(国際法)に従うことが書かれています。
第五条では、欧米の進んだ文明(智識)を求めて、国家を発展させることが書かれています。