問丸(といまる)は、年貢米の陸揚地である河川・港の近くの都市に居住し、運送、倉庫、委託販売業を兼ねる組織。問(とい)とも呼ばれます。
平安時代後期から鎌倉時代頃に組織され、取扱うのは主に荘園からの年貢米でした。各地にある荘園ですが、その荘園の年貢米を京都などの大貴族に輸送する必要があり、河川や港で物資の輸送にあたった人々が物資の一時的な管理業務にあたるようになって、発生したものと考えられています。
鎌倉時代末になると問丸は、港湾や荘園を所有する領主に隷属して仕事をするだけではなく、その港湾を利用する他の領主の要求にも応じ、年貢米の輸送管理を引き受けて領主への隷属を脱していきます。また、陸上輸送業者とも連携・統率するようになり、仲介業者または運送業者として独立した地位を築くようにもなりました。
南北朝・室町時代に入っていくと、問丸は、一般の商品も取り扱うようになって問屋へと展開するものや、逆に独占的支配の特権によって他者の流通を妨げる存在に成長していきました。このため、戦国時代後期に入ると楽市・楽座(自由経済)政策によって、同じく独占的な要素を持つ流通組織とみられた座とともに解体に追い込まれていきました。