薩英戦争(さつえいせんそう)は、薩摩藩とイギリスの間で起こった武力衝突です。生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、兵制の近代化で培った実力でこの要求を拒否しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突しました。
交戦期間は3日間(文久3年7月2日–4日〈新暦: 1863年8月15日 – 17日〉)でしたが、薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受け、イギリス軍も旗艦「ユーライアラス」の艦長や副長の戦死や軍艦の大破・中破など大きな損害を被ります。そのため、この戦闘を通じて薩摩とイギリスの双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となりました。
なお、イギリスではこの戦闘を単に「Bombardment of Kagoshima」(鹿児島砲撃)と呼ばれています。