樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)は、1875年(明治8年)5月7日に日本とロシア帝国との間で1855年の日露和親条約で雑居・共有としていた樺太(サハリン)で頻発していた日露両国人の紛争を無くすために国境を確定させた条約です。日本は、樺太に対する領有権を放棄し、その代わり、ロシアは千島列島のうち、ロシアが領有しちた得撫島以北の北千島列島の領有権を日本に渡しました。
ざっくり用語解説
樺太・千島交換条約
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