榎本武揚(えのもと たけあき)は、幕末・明治期の武士(幕臣)、海軍軍人、政治家、外交官です。伊能忠敬の弟子であった幕臣榎本武規(箱田良助)の次男として生まれ、昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学しました。帰国後は、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、蝦夷共和国の総裁となります。戊辰戦争の一部であり最終局面である箱館戦争で敗北し、降伏後2年半投獄されましたが、敵将黒田清隆の尽力により助命され、釈放後明治政府に仕えました。
開拓使で北海道の資源調査を行い、駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結したほか、外務大臣、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任、子爵となりました。