ヴィルヘルム2世は、第9代プロイセン国王・第3代ドイツ皇帝(在位:1888年6月15日-1918年11月9日)です。史上最後のドイツ君主。
プロイセン王子フリードリヒ(フリードリヒ3世)とイギリス王女ヴィクトリアの長男としてベルリンに生まれます。1888年に祖父ヴィルヘルム1世、父フリードリヒ3世が相次いで崩御したことにより29歳でドイツ皇帝・プロイセン王に即位しました。祖父の治世において長きにわたり宰相を務めたビスマルクを辞職させて親政を開始。治世前期には労働者保護など社会政策に力を入れ、社会主義者鎮圧法も延長させずに廃止しました。しかし、その後保守化を強めて、社会政策にも消極的になっていきます。
一方、外交では一貫して帝国主義政策を推進し、海軍力を増強して新たな植民地の獲得を狙いますが、イギリスやフランス、ロシアなど他の帝国主義国と対立を深めて、最終的に第一次世界大戦を招きました。大戦末期には膨大な数の死傷者と負担に耐えきれなくなった国民の間で不満が高まり、ドイツ革命が発生します。革命を鎮めるために立憲君主制へ移行する憲法改正を行ないましたが、革命の機運は収まらず、結局オランダへ亡命して退位することになり、ホーエンツォレルン家はドイツ皇室・プロイセン王室としての歴史を終えました。
ヴィルヘルム2世自身は戦後もオランダで悠々自適に暮らし、ドイツ国内の帝政復古派の運動を支援しましたが、最終的に反帝政派のアドルフ・ヒトラーによる独裁体制が誕生したことにより復位の可能性がなくなりました。1941年6月4日にオランダにて逝去。