東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)は、江戸時代中期の浮世絵師ですが、約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師です。その出自や経歴については様々な研究がなされてきましたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年(1763年) - 文政3年(1820年))とする説が有力となっています。
三代目大谷鬼次の江戸兵衛」「市川海老蔵の竹村定之進」など1794年から1795年にかけてのわずか10ヶ月で140点の役者似顔絵と数点の相撲絵を残しました。