解体新書(かいたいしんしょ)は、日本語で書かれた安永3年(1774年)発行の解剖学書です。西洋医学書『ターヘル・アナトミア』)を主な底本として、江戸時代の日本人が西洋医学書を日本語に翻訳した書物です。
明和8年(1771年)3月4日、蘭方医の杉田玄白・前野良沢らは、小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学しました。その際に中医学や漢方などの書物での人体図と大きな乖離がある一方、『ターヘル・アナトミア』の人体図の方は正確でした。そのため、杉田玄白はこれを翻訳しようと前野良沢に提案して、他の賛同者も集めて、翌日3月5日から良沢邸にて翻訳がスタートしました。
しかし、当初、玄白はオランダ語を読めず、オランダ語の知識のある良沢も語彙が乏しい状況。さらにオランダ語の通訳は長崎にいるので質問することも難しく、当然ながら辞書も無いという暗中模索の状況での翻訳作業は暗号解読と同じようなことです。玄白は、この厳しい翻訳の状況を「櫂や舵の無い船で大海に乗り出したよう」と表しました。約2年の苦闘の結果、安永2年(1773年)、翻訳の目処がついたため、世間の反応を確かめるために『解体約図』を刊行。さらに2年経った安永3年(1774年)、計4年を経て『解体新書』が刊行されました。解体新書は、玄白の友人で奥医師の桂川甫三が将軍に献上しました。