東條英機(とうじょう ひでき)は、陸軍軍人出身の政治家です。陸軍次官、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第29代)、参謀総長(第16代)、大政翼賛会総裁(第2代)などを歴任し、1941年10月18日に内閣総理大臣(第40代)に就任しました。1948年12月8日にマレー作戦と真珠湾攻撃を敢行し、日米開戦、太平洋戦争に突入しました。当初は優勢に戦局が推移しましたが、やがて行き詰まり、サイパン島が陥落した後、1944年7月に辞任しました。後継は朝鮮総督だった陸軍の小磯国昭となりました。戦後は、A級戦犯として極東軍事裁判にて死刑判決を受けて死刑となりました。