人足寄場(にんそくよせば)とは、飢饉などで田畑を捨て江戸に流れ込んできた元農民などの無宿者や軽犯罪人を収容した施設です。ここでは、生活指導や職業訓練による自立支援・再犯防止などが施されましたが、実態は強制収容所に近いものですね。
ざっくり用語解説
人足寄場
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