日本は、幕末の安政五カ国条約によって米・英・仏・蘭・露との間で、関税自主権のないまま開国・通商をすることになりました。「なんでそんな馬鹿なことをしたんだ!」と思われるかもしれませんが、当初の関税賦課は、従価税(価格に応じて指定税率を課す)もので、そこまで日本に不利な内容でもなかったのです。しかし、改税約書によって当時の従価を基にした5%の従量税(量に応じて課税)に改まってしまいました。従価税であれば、価格が上昇すれば関税収入もそれに比例して上昇しますが、従量税であれば価格に関わり無く量に応じた関税を払えばいいことになってしまい、幕末の混乱期のインフレによって事実上の関税免除に近い状態になってしまったのでした。そのため明治政府は、関税自主権回復と領事裁判権撤廃に血道を上げることになりました。欧米列強との間に初めて関税自主権を回復できたのは、日露戦争後に1907年に締結された日露新通商航海条約であり、その後、1911年にアメリカを始めとする他の列強も日本と平等条約(日米通商航海条約など)を締結し、完全な回復を達成することができました。