ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
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  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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ロシア皇太子

ロシア皇太子は、ロマノフ朝ロシア帝国における皇位継承者のことです。大津事件のときのロシア皇太子は後にロシア帝国最後の皇帝となるニコライ2世です。ニコライは、大ロシアの皇位継承者として、見聞を広めた方がよいとの両親の勧めで1890年10月から1891年8月にかけて世界各地を旅行することになりました。このときニコライは22歳から23歳でした。旅行の中心地はイギリスとロシアが勢力圏争いをしている極東となり、まずウィーンからギリシャへ向かい、エジプト、英領インド、コロンボ(英領セイロン)、英領シンガポール、サイゴン(フランス領インドシナ)、オランダ領東インド(インドネシア)、バンコク(シャム)、英領香港、上海と広東(清)を歴訪した後、最後に日本にやってきました。

1891年4月27日にニコライ皇太子を乗せたロシア軍艦が長崎に寄港し、以降5月19日まで日本に滞在しました。明治政府はこの未来のロシア皇帝を国賓待遇で迎え、その接待を念入りに準備していて、各休憩所で出される茶菓子の吟味にまで及んでいました。日本各地を巡りながら、5月11日に京都見物の次に大津に入り、琵琶湖の遊覧や園城寺などの見学をしました。しかし同日、大津から京都へ戻る際に、滋賀県警察部所属の警察官津田三蔵巡査が人力車に乗っていたニコライ皇太子にサーベルで斬りかかり、彼の右耳上部を負傷させてしまったのです(大津事件)。切り傷そのものはそれほど深くなかったものの、重いサーベルによる斬撃を受けたため頭蓋骨に裂傷が入った(脳には届かなかった)。これ以降ニコライは終生、傷の後遺症と頭痛に苦しむようになったといいます。

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