酒井田柿右衛門(さかいだ かきえもん)は、江戸時代、肥前国(佐賀県)有田の陶芸家です。彼を初代として、代々その子孫(後継者)が襲名して現代にもその名は脈々と続いています。
さて、この初代の酒井田柿右衛門は、息子とともに陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたのですが、やがて17世紀前半に赤絵磁器の焼成に成功したのです。それは、乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立することに繋がりました。
彼の作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られ、また、磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られやはりヨーロッパに輸出されたのです。