ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 動乱の戦国時代
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  • 発展する経済・文化
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孫文

孫文(そんぶん)は清朝末期の革命家で、中華民国の樹立に貢献しました。

広東の農民出身でしたが、華僑として成功していた兄を頼って14才でハワイに渡り、アメリカの民主主義を知ると同時にクリスチャンとなりました。19才で広東に戻り、香港で医学を学び、医師を開業しましたが、個人を救う医師よりも危機の中国を救う国医となるほうが大切だと考えるようになり、改革運動に加わります。1894年にハワイで興中会を結成して以来、数回にわたって蜂起しますが失敗。亡命をくりかえし、1905年に中国同盟会を組織して、三民主義を理念として掲げ、ついに1911年に辛亥革命(第一革命)を成功させ、1912年に南京に中華民国を樹立、臨時大総統となりました。

その後、北京を袁世凱に奪われ、広東を拠点に国民党の一員として抵抗(第二革命)、国民党が弾圧されてからは秘密結社中華革命党を結成して袁世凱の帝政復活に反対(第三革命)、さらに北京の軍閥政府に対抗して1917年に広東軍政府を樹立しました。

第一次世界大戦後の1919年、五・四運動を機に中国情勢は大きく転換、孫文は大衆政党として中国国民党(現在の国民党)を組織します。1920年代にはロシア革命後のソヴィエト政権(ソ連)と接近して、1924年に国民党と中国共産党を合同させる「国共合作(第1次)」に踏み切り、全面的な国民革命を開始しましたが、翌1925年に「革命いまだ成らず」の言葉を残して死去しました。

その生涯は毀誉褒貶も激しかったですが、一貫して国民革命を求めたものであり、現在も中国大陸、台湾のいずれにおいても国父として尊崇されています。

 

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