福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)は、幕末から明治期にかけての日本の啓蒙思想家・教育者ですね。慶應義塾の創設者として有名ですし、なんといっても1984年から2024年までの40年間日本の最高紙幣の顔として、日本全国どころか世界中にその顔を知られている人物です。
大坂の適塾で学び、最年少22歳にて適塾の塾頭となり、オランダ語の原書を読めるようになりました。ちなみに適塾は蘭方医学から発展した塾ですので、その経験を踏まえて諭吉としては、慶應義塾大学に医学部は欠かせないと考えていたのでしょう。
そんな秀才な諭吉がショックを受けたことがありました。それは、開国後に横浜では英語がたくさん使われていて、オランダ語を使っても通じなかったことです。「時代は英語や!」といち早く英語習得に励み、1859年に幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために幕府使節団をアメリカに派遣することになると、伝手を辿って、諭吉はこの使節団に加わて渡米しました。
この時の有名なエピソードの一つが、「初代大統領のジョージ・ワシントンの子孫が現在どうしているのかアメリカ国民がほとんど知らない」ということを不思議に思ったということがあります。徳川家康の子孫は将軍として君臨している日本としては「どういうことなんだろう?」となったわけですね。そこから民主主義や選挙制度などについて、関心が向いていったわけです。
1861年には幕府の遣欧使節団にも同行して、渡欧もしました。諭吉は、当時の人としてはかなりの国際経験豊かな人物というわけです。
福沢諭吉は、『学問のすすめ』『福翁自伝』などのベストセラーを明治の世に出し、日本国民の見識を高める上でも非常に重要な役割を果たしました。