張鼓峰事件(ちょうこほうじけんん)は、1938年(昭和13年、康徳5年)の7月29日から8月11日にかけて、満洲国東南端の琿春市にある張鼓峰(地名です!)で発生したソビエト連邦との国境紛争です。実質的には日本軍とソ連軍の戦闘です。
この戦闘で日本側は戦死526名、負傷者914名の損害を出しましたが、これは第一次世界大戦の激戦をほとんど経験しなかった日本にとって、日露戦争後では初めての欧米列強との本格的な戦闘となりました。日本軍は日露戦争とシベリア出兵の経験から、ソ連の軍隊を過小評価していましたが、この戦闘で高度に機械化されたソ連軍の実力を痛感する結果となりました。
しかし、当時、日中戦争の真っ只中であった日本陸軍にとっては、中国国民党軍が主敵であったため、あまり積極的に機械化を進められませんでした。そのため、後のノモンハン事件、太平洋戦争において、機械化が進んだ欧米列強に苦戦を強いられることとなりました。