現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国家。靺鞨族の大祚栄により建国され、周囲との交易で栄え、唐からも「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれました。最後は契丹(遼)によって滅ぼされました。
日本との関係・交流は、727年に渤海から日本に使者が派遣されてきたことから始まります。当時の渤海にとって、唐や新羅に対抗する軍事的な側面がありました。そのため、日本は渤海を自国より下位の朝貢国とみなし、渤海も朝貢国の立場を甘んじて受けていました。渤海と唐の関係が改善されると、日本との関係は軍事的な性格から文化交流的、商業的な性格を帯びるようになり、その交流は926年の渤海滅亡時までの200年間継続しました。
日本と渤海の交渉に関連する記録は非常に多く、『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』などの歴史書は渤海が存在していた同時代の史料であり、さらに木簡や金石文なども相当数あります。渤海史研究に重要な一次史料を日本は多数保有しています。渤海と日本との外交関係は渤海が34回(35回とする説もある)、日本が13回使者を派遣。