千利休(せんの りきゅう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人、堺の商人。侘茶の完成者として知られ、茶聖とも称せられています。また、今井宗久(堺の商人)、津田宗及(堺の商人)とともに茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される数多くの弟子を抱えました。子孫は茶道の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)として続いています。千利休は天下人・豊臣秀吉の側近という一面もあり、豊臣秀吉が旧主・織田信長から継承した「御茶湯御政道」の中で、多くの大名にも影響力をもちましたが、秀吉との関係に不和が生じ始め、最期は切腹を命じられました。切腹の理由は諸説アリです。