汪兆銘(おうちょうめい)/汪精衛(おうせいえい)は、1901年の科挙に合格。1904年、21歳で日本に留学、法政大学などで学び、日露戦争での日本の勝利に刺激を受け、1905年に孫文が結成した中国同盟会に参加しました。翌年から孫文に従って東南アジア各地を巡り、華僑の組織化を図り、革命家として積極的に活動。1910年には清朝の摂政王の暗殺を企てるも失敗に終わり、逮捕され、獄中で1911年の辛亥革命を迎えました。釈放後はフランスに留学、法律を学びました。フランスから帰国した1924年、中国国民党の執行委員、宣伝部長となり、孫文を助けて共産党との第1次国共合作に努めました。孫文死後は、国民政府内で蔣介石と対立、日中戦争の最中、重慶政府を離脱して1940年3月、親日政権の南京国民政府を樹立し首班となりました。日本との講和に応じるなど日本に協力しましたが、国民の支持がなく、1944年に日本で病死しました。