天皇の国務に関する大権行使については各国務大臣がそれぞれが直接、天皇を輔弼(ほひつ=補佐・サポートすること)し,副署によってそれを証明しました(大日本帝国憲法55条)。すなわち、大権行使に関しては、天皇には責任がなく、大臣が責任を負うこととされました。もう一つのポイントは、各国務大臣それぞれが直接、天皇を輔弼したということです。そのため、憲法外の機関である内大臣・元老も輔弼機関と解されることがありました。また、統帥大権については陸軍参謀総長・海軍軍令部長といった軍令機関が輔弼するほか,陸・海軍大臣,侍従武官長も輔弼機関と解されていました。要は、内閣総理大臣以外が、直接天皇をサポートする権利と義務があるわけです。内閣総理大臣や内閣といったものは、大日本帝国憲法内では規定されていないんですね。別の法の中で、「内閣総理大臣は各大臣の首班」と規定され、「内閣は各大臣の協議と意思統一のための組織体」でしかありませんでした。すなわち、内閣の中で意見の不一致が起きても内閣総理大臣には罷免権がないので、説得するしかないんですよ。各大臣は「俺は直接天皇をサポートする義務と権利がある!」ってなっちゃってるんですね。内閣の意向とは別の動きがあってもそれを内閣は統制することができないわけですね。この規定のため、昭和になると、内閣とは別に軍部が力を持つことにつながっていってしまいます。
ざっくり用語解説
国務大臣は天皇を補佐し,天皇に対して責任を負うこととされた
関連する学び直しノート
明治維新|中央集権化と近代化を進め、富国強兵を目指した明治新政府
大政奉還により、江戸幕府が終わり、長きにわたった武家政治体制から日本の政治体制に変革が生じます。 戊辰戦争:明治政府と旧幕府勢力の対立 廃藩置県によって進められた中央集権化 富国強兵を目指しての近代化推進 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
11.明治維新と近代国家の形成 #29
西南戦争から自由民権運動へ|明治政府への反抗
明治維新での改革は農民や士族の不満を募らせ、一揆や反乱を引き起こしました。しかし、近代的な兵器や軍制に支えられた明治政府の近代的な軍事力の前に、武力での訴えは、ことごとく鎮圧されてしまいました。明治政府へ対抗するには、武力に頼らず、言論を使った活動が活発化していくことになりました。 政治改革による農民と士族の反乱 西郷隆盛による西南戦争 自由民権運動と議会政治の始まり 歴史年表だけでは語り尽くせない彼らの野望、戦略、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。
11.明治維新と近代国家の形成 #30