太宰春台(だざい しゅんだい)は、江戸時代中期の儒学者・経世家(経済学者)です。最初、朱子学を学びますが、京都で伊藤仁斎の講義を聴くと、その人格にうたれます。しかし、江戸に戻った正徳3年(1713年)、友人の紹介で荻生徂徠の門に入ると古文辞学へと転向しました。江戸の小石川に塾を開き、多くの門人を育てつつ研究・執筆活動をします。
のちに徂徠の説を批判し、『易経』を重んじて全ての事象を陰陽をもって解釈しようとしました。また、征夷大将軍こそが「日本国王」であり、鎌倉・室町・江戸の3時代それぞれに別個の国家が存在したと説きました。その秀才と剛気は、孔子の弟子・子路になぞらえられました。