三菱長崎造船所(みつびしながさきぞうせんじょ)は、長崎県長崎市にある造船工場です。1857年(安政4年)に日本初の艦船修理工場「長崎鎔鉄所」として誕生し、江戸幕府から明治政府に管理が移った後、1887年に岩崎弥太郎率いる三菱に払い下げられました。以後民営の造船所として多数の艦船を建造し、戦艦「武蔵」を建造したことでも有名です。現在でも、三菱重工業の長崎造船所として存続しています。この長崎造船所のうち、小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(現在は史料館)、占勝閣の5資産が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産にもなっています。