足高の制(たしだかのせい)は、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が享保8年(1723年)6月に施行した法令です。
江戸幕府の各役職には、各々禄高の基準を設けられていました。お役目を務めるには、それなりの支出もありますので、収入がないと高位に就けないんですね。禄高が少ないんだけど優秀な人には、禄高を増やしてあげればいいじゃないと考えますが、江戸時代に限らず、現代においても「基本給」を上げてしまうとなかなか下げることはできませんよね。そのため、禄高を上げてあげるんだけど、いうなれば「役職手当」みたいな上げ方にしようというのが、この「禄高」を一時的に「足す」、「足高の制」です。
例えば、8百石の旗本が基準高3千石の町奉行に就任した場合は、在職期間中に限って幕府から不足分として2千2百石が支給されるってわけです。
これによって、能力や素質があるが家柄が低いために要職に就けないといった旧来の不都合を解消して、良質の人材を登用しつつ、幕府財政の健全性も維持する施策なわけです。ただ、とはいえ、しかし、というのが現実社会ってもので、家格以上の役職に就任した者が退任するにあたって世襲家禄(基本給)が加増される例も多かったようです。