四国艦隊下関砲撃事件とは、長州藩による外国船砲撃事件の報復と関門海峡における通行の安全を確保するため、1864年に英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃し、陸戦隊を上陸させて下関砲台などを占領した事件です。下関戦争や馬関戦争とも呼ばれます。この結果、敗れた長州藩は西洋列強の強さを見知ったわけです。このままでは攘夷なんてできっこないと知り、以後はイギリスに接近して軍備の増強に努め、倒幕運動を推し進めることになりました。
ざっくり用語解説
四国連合艦隊下関砲撃事件
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