明暦の大火(めいれきのたいか)は、明暦3年1月18日から20日(1657年3月2日-4日)までに、江戸の大半を焼いた大火災です。出火の状況から振袖火事、火元の地名から丸山火事などとも呼ばれます。この大火災は、炎症面積・死者ともに江戸時代最大のもので、江戸城の天守閣も燃え落ち、その後再建されることはありませんでした。
明暦の大火を契機に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷が江戸城外に転出するとともに、それに伴って武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転しました。隅田川には、それまで防衛のために千住大橋しか架かっていませんでしたが、両国橋や永代橋などが作られ、さらに延焼を遮断する防火線として広小路が設置されました。現在でも上野広小路などの地名が残っています。