広開土王が周囲に出兵し、高句麗の領土を拡張した功績を称えた碑。現在の中国吉林省集安市通溝付近(北朝鮮との国境付近)に、次の長寿王によって414年に建てられました。
碑文には、古代において倭(日本)が朝鮮半島に進出し、広開土王の高句麗と戦ったことを示す内容が含まれてます。この碑文については、1884年に発見されてから日本陸軍が改ざんしたのではないか、という疑いももたれたこともありましたが、現在では、改ざん事実は否定され、碑文の文字についてはほぼ確定。倭の朝鮮半島南部への進出と、広開土王が倭軍を破ったことは事実として考えられているます。4世紀末から5世紀末の日本を含む東アジアの国際関係を知る上で、重要な史料。