クウェート侵攻は、1990年にイラクがクウェートに侵攻した事件であり、湾岸戦争の発端となりました。イラク軍はわずが数時間でクウェート全土を占領し、クウェートの首長など政権幹部は隣国で友好国のサウジアラビアのターイフに亡命政府を作って抵抗しました。
背景として、イラクは1980年から1988年までイラン・イラク戦争を戦い、戦後である1990年にはイラクは多額の負債に喘いていました。毎年のイラクの石油収入の大半が負債の返済に充てられている状況だったのです。そういった状況下、クウェート侵攻が起きる前年の1989年11月にイラクのバグダードをクウェート首長が訪問し、イラクに対して、400億ドルの借款の返済を要請しました。イラクとしては返済どころか「もっと援助が欲しい」状況だったのです。
一方、長年の戦争で、イラクの軍事力・規模は各段に大きくなっており、イラク陸軍だけでもUAE・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビアの全ての陸軍の合計よりも3倍強力だったと言われています。
また、イラクには、1961年のクウェート独立の際にも、クウェート併合を唱えて侵攻をしかけたことがあり、イラクとしては領土の一部をイギリスに奪われたという主張がありました。
こういった状況から、イラクのサダム・フセイン政権はクウェート侵攻し、借金チャラとクウェートの油田を手に入れることを考えたわけでした。