ラジレキ

要点から背景まで、流れでおさえる日本史の全体像

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  • 日本の夜明け
  • 大和王権と古墳文化
  • 古代国家の成立
  • 権力闘争と貴族の時代
  • 武士階級の台頭
  • 武家社会の動揺
  • 動乱の戦国時代
  • 幕藩体制の始まり
  • 発展する経済・文化
  • 揺らぎ始める幕藩体制
  • 明治維新と近代国家の形成
  • 脱亜入欧、日清・日露戦争
  • 第一次世界大戦
  • 第二次世界大戦
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竹内式部

竹内式部(たけのうち しきぶ)は、江戸時代中期の神道家、尊王論者です。1728年(享保13年)頃に上京し、山崎闇斎門下の玉木正英・松岡仲良に師事して、儒学・垂加神道を学びました。その後、家塾を開いて、若い公家たちに大義名分を重んじる垂加神道の講義を開始すると、最盛期には700~800人の弟子を有したとされています。しかし、その大義名分論が公家たちの間に浸透すると、幕府に対する不穏な空気が蔓延するなどして、京都から追放されてしまいました(宝暦事件)。その後、山県大弐らによる明和事件が起きると、竹内式部も関与を疑われて江戸に召喚されました。結果、山県との関係については疑念は晴れたものの、追放中でありながら京都に立ち入ったことが発覚して、八丈島に流罪となります。八丈島護送途中の三宅島で1767年に病没。

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