名田(みょうでん)は、日本の平安時代中期から中世を通じて見られる、荘園公領制における支配・収取(徴税)の基礎単位のことです。
これは結構大事なことで、そもそも律令制における課税の基礎単位というのは、民衆一人ひとりなんです。租庸調というのは、個人に対する賦課なんですね。土地の税金のように感じる「租」もあくまでも班田を受け取った個人がそれを個人の責任で耕作して、収穫物を納めろなんです。
しかし、これまで見てきたとおり、この公地公民制に基づく租庸調などの課税システムはほぼ崩壊。そもそも、9・10世紀ごろになると、民衆把握システム(戸籍・計帳の作成や班田の実施など)が弛緩してしまい、どこに誰がどれだけいるかを把握できていないわけですよ。そうなると、「個人単位」の課税システムなんて運用できません。
一方、「土地は逃げない」ので、政府は土地(公田)を課税の基礎単位とするように変革していきました。これにより、まず国衙の支配する公田(国衙領)が、「名田」と呼ばれる支配・収取単位へと再編成されていき、この名田を基礎とする課税システムが作られるようになりました。