享保の大飢饉(きょうほうのだいききん)は、江戸時代中期に起こった飢饉で、寛永(1642‐1643)・天明(1782‐1787)・天保(1833‐1839)の大飢饉と並んで、江戸四大飢饉の一つに数えられています。
1731年(享保16年)末から天候が悪く、年が明けた1732年(享保17年)には、5月、6月まで雨と低温が続きました。冷夏に加え、うんか などの害虫も発生して稲作に甚大な被害が生じてしまいました。中国・四国・九州地方の西日本各地が凶作に見舞われ、被害は西日本諸藩のうち46藩にも及びました。この46藩の総石高は236万石ありますが、この年の収穫はわずか27パーセント弱の63万石程度で、1万人を超える餓死者が出たといいます。