中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)は、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されています。ちなみに金閣寺よりも前のものであり、マルコ・ポーロの『東方見聞録』で「ジパングには黄金でできた建物がある!」というのは、金色堂のことでしょう。奥州藤原氏の栄華を今に伝えています。
ざっくり用語解説
中尊寺金色堂
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