ここで日本の経済・貿易の流れを整理しておきましょう。
1956年(昭和31年)7月に発表された「経済白書」で「もはや戦後ではない」と記されたとおり、1950年代後半に入って、日本経済は新たな展開が開始されました。
1956年(昭和31年)には“神武景気”、1958年(昭和33年)には“岩戸景気”と称された景気上昇局面が訪れました。この間の1955年(昭和30年)9月には、日本はGATT(関税貿易一般協定)に加入し,翌1956年(昭和31年)12月には国際連合に加盟し,国際社会に復帰しました。それと同時に国際経済社会の一員として従来の保護貿易体制を改め、貿易の自由化を実現していくことが要請されるになります。
戦後の日本は、厳しい外国為替管理のもとに輸入外貨割当制を実施し、輸入を厳しく制限してきました。その理由としては、一つには絶対的な外貨不足。もう一つは、まだ脆弱だった日本の産業を厳しい国際競争から守り、国内産業の育成を図るための措置でした。しかし、日本からの輸出が増大するにつれて、貿易の自由化を求める声が次第に高まってきたのです。
こうした要請に応えて、1960年(昭和35年)6月,政府は「貿易為替自由化計画」を決定。これは、貿易および為替取引の自由化の基本方針を定めたもので、商品別に自由化のスケジュールを定め、わが国の自由化率を3年以内に80%とする目標を掲げます。当時の日本の国際競争力はまだ弱い状況で、貿易の自由化は“第2の黒船”の来航にたとえられたほどでした。
しかし,日本の企業が国際的に活動し、日本経済が一層の発展を遂げていくためには、避けて通れないハードルでもありました。
その後、1964年(昭和39年)4月に国際通貨基金(IMF)8条国に移行し、国際収支を理由とする為替制限ができないことになり、また同じ月に経済協力開発機構(OECD)に加盟。日本は国際経済の舞台に登場し、貿易の自由化が急ピッチで展開されていくようになり、貿易立国としての歩みを加速させるのでした。