ベルリンの壁(ベルリンのかべ)は、1961年から1989年までベルリン市内に存在した壁。
冷戦下でドイツは、東西陣営に西ドイツと東ドイツで分裂しており、ベルリン市は東ドイツ側にありました。しかし、ベルリン市自体も「西と東に分断され、西ベルリンは西ドイツに属していました。西ベルリンと東ベルリンに分断されたあとも、往来が自由だったのですが、このベルリン市の境界線を経由して東側から西側への人口流出が続いてしまい、東ドイツに深刻な影響を及ぼしました。
そのため、東ドイツは自国の体制を守るべく、1961年8月13日、突如として東西ベルリン間の通行をすべて遮断。そして、西ベルリンの周囲をすべて有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作ったのでした。
このベルリンの壁はドイツ分断の象徴であり、かつ東西冷戦の象徴ともなりました。そして1989年秋の東欧革命にともなう東ドイツ国内の混乱のなか、同年11月9日に東ドイツ政府の不用意な発表から、壁の国境検問所がなし崩し的に無効になり、やがて壁そのものが撤去されました。