禁中並公家諸法度で、幕府は「朝廷は政治のことに口出しすんなよ!学問だけしとけや」と言い放っており、政治は幕府が完全委任を受けているわけです。なので、幕府が決めればいいのにも関わらず、朝廷に報告してしまったがゆえに「そういや、征夷大将軍の任命者って朝廷だよな。ってことは朝廷の方が偉いわけだよな」という大義名分論が高まり、尊王攘夷の道が活発化することになりました。
一方で、幕府が朝廷を無視して勝手に決めていたら、それはそれで「朝廷を無視するとは何事か!」と騒ぐ人たちもいたことでしょう。
何が言いたいかというと、江戸時代に日本で儒学・国学が発展したことによって、観念として「天皇はエライ」という思想が広がっていて、幕府もそれを無視できない状態になっていたということかなと。