関孝和(せき たかかず)は、日本の江戸時代前期の和算家(数学者)です。ただ、家が断絶してしまったことなどから関孝和の生涯については、あまり多くが伝わっていません。
関孝和は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした人物です。特に宋・金・元時代に大きく発展した天元術を深く研究して、根本的な改良を加えました。延宝2年(1674年)に『発微算法』を著し、点竄術(てんざんじゅつ)による代数の計算法を発明。和算が高等数学として発展するための基礎を作ったのでした。また、世界で最も早い時期に終結式を用いた変数消去の一般論を見出しましたが、この終結式の表現において行列式(高校数学の数Cですね)に相当する式が現れています。
また円周率の近似値についても、1681年頃に正131072角形を使って小数第11位まで算出。これは世界的に見ても、数値的加速法の最も早い適用例の一つでした。さらに、西洋の微分積分学の発展より前に、方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、求長・求積に関する業績を挙げており、今日の微分法と積分法の基礎を発見していたのです。関孝和がニュートンやライプニッツよりも前に微分積分学を創始したとまでは言えないものの、それに先んじて微積法の基礎の発見をしていました。
とまあ、こんな感じでめちゃくちゃ凄い数学者だったわけです。