遼(りょう)、契丹(きったん)は、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝です。中原に迫る大規模な版図(現在の北京を含む)を持ち、かつ長期間続いた異民族王朝であり、いわゆる中国征服王朝(金・元・清が続く)の一つとされます。ただし、領有したのは燕雲十六州と遼寧のみであり、金・元・清のように中原を支配下にはおいていません。
建国当初の国号は大契丹国(イェケ・キタイ・オルン)で、遼の国号を立てたのは947年のこと。さらに983年には再び契丹に戻され、1066年にまた遼に戻されています、