1609年に薩摩藩によって琉球王国に対して軍事侵攻がなされました。これに対して、琉球王国側はほとんど抵抗ができないまま征服されてしまいました。国を守るためには、やはり防衛力は大事なわけです。このとき、琉球王国としては、秀吉の朝鮮出兵に対して、明が派兵して朝鮮を守ったようなことを期待しますが、朝鮮と違って琉球は海を隔てていること、また朝鮮出兵への対応で明が疲弊していたことなどから、朝鮮と違って助けてもらえませんでした。現代においても非常に示唆的な話ですよね。
ざっくり用語解説
琉球に対しては,薩摩の島津氏が1609(慶長14)年に出兵
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