503年に「新羅」を正式な国とした、朝鮮半島東部、南東部の国。660年に百済、668年に高句麗を中国唐王朝とともに滅ぼすと、やがて唐王朝の影響力も朝鮮半島から排除して、676年に初の朝鮮半島の統一王権を樹立しました。高麗、李氏朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となりました。しかし、やがて内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して935年に滅亡した。
古墳時代の変遷とヤマト政権の統治体制3世紀後半から7世紀にかけ、権力者の墓として様々な古墳が作られました。多くの小国が生まれ、政治的支配者が各地で生まれていたことがわかります。 それらの小国を統一したのがヤマト政権です。ヤマト政権は氏姓制度と呼ばれる身分制度を基盤にして、弥生時代よりも強固な国家体制を構築しました。 古墳時代の発展の歴史 ヤマト政権の統治体制 古墳時代の文化 歴史年表だけでは語り尽くせない古墳時代の特徴や時代背景、そして後の時代への影響を、ラジレキが独自解説します。 02.大和王権と古墳文化 #03