日本では、1955年から1973年の約20年にわたって、経済成長率が年平均10%前後の高い水準での成長を続けました。
・1ドル=360円という安い円相場を背景とした輸出増進による外貨獲得
・その結果、国民所得の倍増⇒国内市場の拡大
・道路・港湾・都市計画・下水・住宅等の社会資本の拡充
・経済成長を支える人間の要素に注目し、教育・訓練・科学技術の向上
などを重視した結果といえます。
また、この間に重化学工業分野での技術革新も進み、日本は経済大国へと成長・発展したのでした。
ざっくり用語解説
日本では、1955年から1973年の約20年にわたって、経済成長率が年平均10%前後の高い水準での成長を続けました。
・1ドル=360円という安い円相場を背景とした輸出増進による外貨獲得
・その結果、国民所得の倍増⇒国内市場の拡大
・道路・港湾・都市計画・下水・住宅等の社会資本の拡充
・経済成長を支える人間の要素に注目し、教育・訓練・科学技術の向上
などを重視した結果といえます。
また、この間に重化学工業分野での技術革新も進み、日本は経済大国へと成長・発展したのでした。
敗戦後、日本はアメリカを中心とする連合国軍(GHQ)の占領下に置かれました。占領政策の柱は日本の「非軍事化」と「民主化」。旧体制を解体し、市民社会へと転換するための改革が進められていきました。 敗戦と日本の再出発 占領政策と「非軍事化・民主化」 冷戦下における国際関係の再編と日米関係の構築 歴史年表だけでは語り尽くせない戦後日本の転換点を、ラジレキが独自解説します。
15.戦後、そして現代の日本 #34
敗戦後、日本はGHQの占領下で「非軍事化」と「民主化」を進め、軍国体制から市民社会への転換を図りました。やがて、朝鮮戦争による特需が経済を押し上げ、池田勇人内閣の「国民所得倍増計画」によって高度経済成長期が到来。東海道新幹線の開通、東京オリンピックの開催、耐久消費財の普及とともに、人々の暮らしは大きく変わっていきました。 高度経済成長と日本経済の歩み 日韓・日中国交正常化 オイルショックやバブル経済の崩壊 占領から高度経済成長へ。そして、成長の終焉と新たな時代の入り口へ。歴史年表だけでは語り尽くせない戦後日本がたどった激動の数十年を、ラジレキが独自解説します。
15.戦後、そして現代の日本 #35